左打者が放つ左中間へのライナーとアーチ式コンクリートダムは、力強さと美しさを兼ね備えているという点で似ている。 Baseball is my real life!
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「思い切り振る」こと
さて、最近仕事が忙しすぎて全くバッセンに行けていない俺です。

えーと、某所(適当にTBから探してください)で「バットを思い切り振ることは必ずしもいいとは限らない」という旨のエントリーを読みました。まぁ、このエントリーの発端は俺に起因するところが大きいようなので、俺なりの答えというか考えを書いてみます。


まず大前提として、俺は「思い切り振る」ということは「100%の力で振る」や「大振り」とは意味が違うと思っています。

「100%の力で振る」や「大振り」というのは技術的なことであって、「思い切り振る」ということは精神的な部分を指す言葉だと思います。つまり同列に語るべき言葉ではない、違う土俵の言葉であるということ。

「思い切り」を辞書で引いてみると「じゅうぶんに。存分に。」とあります。一方、「思い切って」を見ると「かたく心にきめて。決心して。」という内容。

えーと、これで何となく見えてきたかもしれませんが、「思い切り振る」よりは「思い切って振る」という言い方の方がしっくりくるんですよね。
「決心して振る」ということ。つまり「どんな状況に置かれても自分のスイングをする」ことと言えるでしょう。

「自分のスイングをする」ことと「大振りや力いっぱい振る」ということは全くの別物。ですから、バッターボックスでは堂々と「思い切って」振ればよいのです。


ちなみに「ミート中心の打撃」も「当てに行く打撃」とは違います。ここでも自分のスイングが必要となるわけです。当てに行く、スイングスピードを緩める、状態が突っ込む、フォームを小さくする…これは「ミート中心」ではありません。

バッターはピッチャーがボールを投じた瞬間、本能でまずボールを追います。極端ですが、誰でもその瞬間は無意識のうちに「ミート中心」の精神状態です。そこから大振りや100%のスイングに移行するとその精神が崩れるものですが、その本能をギリギリまで保つのが「ミート中心」なのかな、と。
「センター返しの意識」というのもそういうことだと思います。当てに行く、軽打をするということではなく、「ボールを追う本能を最後まで保つ」こと。それが結果として軽打になることは多くあるでしょうが、「ミート中心」は当てに行ったり軽打をすることが前提ではないと思います。よく言う「最後まで引き付ける」という言葉は「軽打をする」という意味ではないでしょう?
どんな考え方であれ、自分のスイングが一番打てる確率が高いのですから。


「ミート中心」も「思い切って振る」ことの一部でしょう。軽打や当てに行くことはあくまでスイングの内容や結果。精神的には常に思い切って振ることに変わりはありません。

というかですね、真のフルスイングなんてバッターボックスじゃ出来ないですよ。どんなに100%のつもりでも、実際その何%かは本能の方が勝るわけで、100%スイングだけに集中することは不可能ですよ。



バッティングは意外と意識や精神的な部分で左右されたりもするものです。バッターボックスに入る前までに自分の中でキッチリと整理をつけないといい結果は生まれません。
俺も1試合に1打席くらいの確率で「完璧な状態」でバッターボックスに入れることがあります。構えた瞬間に物凄いフィット感を覚え、ピッチャーがモーションを開始して瞬間「完璧にタイミングが合ってる」と感じ、ボールがそれまで以上によく見える。実際そういうのってあるんですよ。
バットの軌道を意識したり、技術的なことを気をつけようとするとダメですね。ちょっとしたことですが、その時の精神状態が影響しているのでしょう。
ちなみにバッティンググローブが苦手というのも、バッターボックス内での少しの違和感によるものですね。


追い込まれてからの軽打やミート中心という考えに切り替えることはいいと思います。長打を捨てることは少し勇気がいることですからね。草野球なら尚更。
でも「スイングの内容」をどう考えるのであれ、「思い切って振る」ことだけは忘れないでほしいのです。


まぁ、こんなところでしょうか。
文章にするのが難しい分野なんで、相当分かりづらいエントリーだな…
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